2019年6月7日金曜日

第一次世界大戦4 世界大戦の正体

なぜ、第一次世界大戦のような大規模な戦争が起きたのかを考えてみたいと思います。
まず、日露戦争が終わった直後である「1907年」と「現在」のヨーロッパ地図を見比べてみます。
最初に気がつく事は、1907年のヨーロッパの地図は「意外とシンプル」だという事です。
小国が林立してゴチャゴチャしているイメージがある現在のヨーロッパですが、1907年の地図を見ると、今よりも国が少なくてスッキリしています。
まず、エストニア・ラトビア・リトアニアの「バルト三国」が存在しません。
ベラルーシ、ポーランド、ウクライナなどの比較的面積が大きな国もありませんし、チェコもスロバキアもありません。
その代わりに、「オーストリア」がすごく大きいです。
現在では小さな国のイメージしかないオーストリアですが、かつてはフランスやスペインよりも国土の広い大国でした。
そして、西からスペイン、フランス、ドイツ、オーストリア、ロシアといった大国が横並びに隣接していた事も特徴的です。
「隣の国」というのは、自国にとって常に脅威であるわけですが、島国であり「国境線」の概念があまりない日本にはそういう感覚を理解する事は困難なのかも知れません。
ヨーロッパの東南部には、地中海と黒海に囲まれた「バルカン半島」がありますが、ここには当時から小国が林立していました。
西には西欧の列強、南にはオスマントルコ、北はロシアに囲まれており、それぞれの大国の思惑が渦巻く「火薬庫」でした。
この地域での紛争は、大国を巻き込んだ大惨事になりかねないのです。
特に「オーストリア」と「ロシア」は、バルカン半島に隣接しているため、半島内での紛争の影響を受けやすい事が伺えます。
このような「地理的考察」を踏まえて、今度はヨーロッパの「パワーバランス」に目を向けてみます。
フランス・ロシアという大国に挟まれていた新興国ドイツは、近隣諸国とのパワーバランスに配慮することで厳しいヨーロッパ情勢を渡り歩いてきました。
鉄血宰相・ビスマルクは、ロシアをはじめ様々な国と同盟を結び、フランスを孤立化させる事でパワーバランスの均衡を維持しようと試みました。
しかしヴィルヘルム2世が皇帝に即位すると、ビスマルクを更迭してしまいます。
すると各国との同盟関係は一変してしまい、孤立させていたフランスはロシアを「露仏同盟」を結び、あっという間にドイツは挟み撃ちの状態になってしまいました。
そこでヴィルヘルム二世は三国干渉や日露戦争を煽ったりして、ロシアの関心を極東へ向けさせていたのです。
しかし日本が日露戦争に勝利すると、ロシアは再びヨーロッパへ矛先を向けるのでした。
ヴィルヘルム2世
ドイツの政策はさらにイギリスをも敵に回してしまいます。
ヴィルヘルム2世は、ベルリン・ビザンチウム(イスタンブール)・バグダードの3点を鉄道で結ぶ「3B政策」を推し進めていました。
一方、イギリスはカイロ・カルカッタ・ケープタウンを鉄道で結ぼうという「3C政策」を進めていたのです。
この3B政策と3C政策という「陣取り合戦」は、イギリスとドイツの対立を生み出します。
また、3B政策はロシアの南下政策にとって邪魔以外の何者でもなく、ドイツとロシアの関係の悪化も招きました。
イギリスは高度な技術力を背景に成長してくるドイツに対抗するため、フランス・ロシアをそれぞれ「英仏協商」「英露協商」を結びます。
これらの協商関係と「露仏同盟」によって繋がった三国の関係は「三国協商」と呼ばれました。
この三国協商は、既にドイツ・オーストリア・イタリアの間で結ばれていた「三国同盟」と真っ向から対立する事になります。
こうしてイギリス・フランス・ロシアVSドイツ・イタリア・オーストリアの明確な対立構図が出来上がってしまい、世界大戦の下地は出来上がりました。
そして「世界大戦」という爆弾に火をつけたのはバルカン半島です。
「ヨーロッパの火薬庫」の異名を持つバルカン半島は、かつてはオスマン帝国の支配下にありましたが、オスマン帝国の衰退によって次々と独立する事になりました。
バルカン半島諸国は、ロシアの後押しを受けてバルカン同盟を結びます。
南下政策を進めるロシアにとって、ボスポラス海峡を抑えているオスマン帝国が邪魔だったのです。(ロシアの黒海艦隊が通れない)
1912年、セルビア・モンテネグロ・ギリシャ・ブルガリアはオスマン帝国に宣戦布告し、領土抗争が起こります。
そしてこの「バルカン戦争」に勝利したのはバルカン同盟でした。
その結果、セルビアは領土が2倍になり、隣国・オーストリアにとって脅威となり、緊張感が高まりました。
そして1914年、オーストリア領のサラエヴォで、オーストリア皇太子夫妻がセルビア人青年によって暗殺される「サラエヴォ事件」が起こってしまいます。
これによってオーストリアはセルビアに宣戦布告。
そして、まるでビリヤードのように玉突き式に対立構図を刺激していき、世界大戦へと繋がっていくのでした。
ヨーロッパのことはあまり詳しくないので、第一世界大戦の欧州戦線の戦局について詳しくまとめるのは控えさせていただきたいと思います。
世界大戦の背景には、欧州各国の複雑に絡み合った利害関係があるのですが、余分な贅肉を落としてその本質を見てみると、世界大戦の正体は「帝国主義の末路」だということが解ります。
白人の帝国主義は世界中を支配し尽くし、もはや行き場を失っていました。
帝国主義政策を先立って進めていた国々と、これから植民地を手に入れたいという国々が対立し、白人国家同士が争いあう事になってしまったのです。
一千万人の死者を出した悲惨な戦争は、白人が自ら作り出した地獄だと言えます。