2019年12月29日日曜日

大東亜戦争17 ミッドウェー海戦① 全ての道はハワイに通ず


日本が戦争に負けた原因は色々あるとは思いますが、戦略面においては「戦線を拡大しすぎた」という点に尽きると思います。

日本は明らかに国力・兵力でまかないきれない範囲にまで戦線を拡大してしまいました。

その結果、兵站が伸びきり、補給線が途絶え、「大東亜戦争の戦没者の60%が餓死者」という悲惨な現実を作り上げてしまったのです。

全方面に喧嘩を売る
真珠湾を攻撃してアメリカ太平洋艦隊を稼働不能な状態にさせておいて、その隙に南方作戦を展開しインドネシアの石油資源を獲得、さらにはビルマに侵攻し援蒋ルートを遮断する、というのが大東亜戦争の第一段作戦でした。

綿密に計画されたこの作戦は笑いが出るほどうまくいったわけですが、現代の視点から振り返ってみると、この作戦は致命的なミスを犯していました。

そのミスとは「ハワイを占領しなかったこと」です。

日本軍がなぜ戦線を拡大しすぎて、アリューシャンやガダルカナルまで行かねばならなかったのかというと、一言で言えば「アメリカがどこから攻めてくるのか、わからなかったから」です。

この問題は、ハワイを占領してしまえば解決したはずなのです。

地図をご覧いただけるとお気づきになられると思いますが、アメリカ本土からハワイまでの間に、基地となりうる「島」がありません。

つまりハワイは、アメリカにとって太平洋方面における作戦展開の最重要拠点であり、ハワイがなければ何もできず、米軍の攻撃目標は必然的に「ハワイ」に絞られる事になるのです。

1942年に米軍が立案した日本への反攻ルート案は以下の5つでした。

①アラスカ〜アリューシャン〜北海道
②ハワイ〜ギルバート諸島〜マリアナ諸島〜パラオ〜ルソン〜沖縄
③オーストラリア〜ニューギニア〜パラオ〜ルソン〜台湾
④インド〜ビルマ〜支那南部
⑤インド〜マラッカ海峡〜南シナ海〜台湾
米軍の反攻ルート案

この中で現実に実行されたのは②と③でしたが、③はあくまでもオセアニアやニューギニアに散開する日本軍の拠点を孤立化させる事が目的であり、最後に日本の喉元に剣先突きつけたのは②のハワイを起点とした反攻ルートだったといえます。
米軍の侵攻ルート
真珠湾を中心としたオアフ島要塞は確かに難攻不落であり、戦艦による攻撃は不可能とも言われてはいましたが、防空体制が甘く、航空機による攻撃に弱いという弱点もありました。


日本軍が、陸軍海軍の共同作戦によってハワイに上陸することができたのならば、戦争の結果に大きく影響を及ぼす事になったのではないでしょうか。

占領したハワイをなんとか一年死守することができれば、その間、陸軍は西へ西へと戦線を拡大できます。

それは同盟国ドイツとの効率的な軍事的連携を意味するのと同時に、ハワイを奪還するために米軍は兵力を欧州戦線から割かねばならず、イギリスを第二次世界大戦から脱落させる事ができたかもしれないのです。

その結果、イギリスの支援を受けられなくなった支那国民党の降伏によって支那事変を終結させる事ができ、日本に有利な形でのアメリカとの講和も有り得たかもしれません。

この筋書きが、日本が戦勝国側に立つ為の、現実的な方法ではないかと思うのです。
戦争の結果がひっくり返った架空の世界を描いた小説「高い城の男」
このような世界が現実に起こり得たのかもしれません

もしかすると連合艦隊司令長官「山本五十六」も、同じような構想を抱いていたのかもしれません。
山本五十六

真珠湾攻撃を計画した山本司令長官は、「空母の喪失と引き換えにしてでも、戦争を終わらせるほどのダメージをアメリカに与えたい」と考えており、真珠湾攻撃の大戦果は、戦略的には不徹底なものであったという認識をもっていました。

そして早期にセイロン島の攻略を計画し、西方戦線を重視し、南方への戦線拡大を懸念していました。

しかしアメリカとオーストラリアの連携を遮断する「米豪分断作戦」を重視していた軍令部に「セイロン島攻略」を却下されてしまった連合艦隊司令部は、ハワイ攻略への足がかりとなる「ミッドウェー攻略作戦」を作成します。
海軍軍令部は米豪連絡網を遮断する事に固執し、
フィジーとサモアを攻略する「FS作戦」を推し進めようとしていました

しかしこの作戦はセイロン島攻略の代替案として急遽計画された為、敵兵力の調査などもない不徹底なものでありましたが、米豪分断にこだわる軍令部を押し切って、協議・修正が加えられ、採決されることになりました。

そしてその同月に「ドーリットル空襲」が起きた事によって、米軍の西進を抑えるためのミッドウェー攻略作戦の意義は、より一層強化されるのでした。
日本本土への初空襲「ドーリットル空襲」

真珠湾攻撃が不十分であったがために実現したこの作戦の本質は、いわば「真珠湾攻撃のやり直し」であったと言えるのではないでしょうか。

そして同じような作戦を、2度も成功させる事ができるほど、戦争は甘くありません。

実は、その頃の日本海軍の暗号は、すでに部分的に解読されており、日本海軍が太平洋方面で大規模な作戦を企画している事をアメリカは掴んでいました。

日時や場所が不明瞭ながらも、「AF」という暗号が用いられている地点が日本の次の目標である事、そしてそれは「ミッドウェー」を指すのではないかという予測を立てるところまでこぎつけていた米軍は、ミッドウェーからハワイ宛に「海水ろ過装置の故障により、飲料水不足」というおとりの電文を送信させました。

するとウェーク島の日本軍守備隊から「AFは真水が不足している」という暗号文が発せられた事によって、遂に米軍は日本の攻撃目標を特定するに至ったのです

そしてドーリットル空襲の影響で無線通信が急増して解析資料が増えた為、米軍は日本海軍の作戦の全容を明らかにする事ができ、アリューシャンへの攻撃がミッドウェー作戦を補助する陽動作戦である事さえ把握していました。

ミッドウェーへと向かう日本海軍の大艦隊の様を、ことわざで表現するとすれば、これ以上にぴったりなものはありません。

「飛んで火にいる夏の虫」