米軍の反転攻勢の1年となった1943年は、米軍によるギルバート諸島の陥落によって幕を閉じました。
米軍の次なる標的は、第一次世界大戦以後、日本の委任統治領となっていた「マーシャル諸島」です。
マーシャル諸島は多数の「環礁」から構成されています。
環礁とは、サンゴ礁が輪のように連なった状態の事で、火山島の中央部がプレート移動によって海中に沈降してゆき、かつて島だった部分を縁取っていたサンゴ礁が残った状態の事を言います。
ここで重要な問題は、米軍は「どの環礁を攻略すべきか」日本軍は「どの環礁の防御を固めるべきか」です。
米軍のニミッツ提督は、マーシャル諸島東側よりも、中央に位置し日本軍の司令部が置かれているクェゼリン環礁を攻撃対象に定めました。
対する日本軍は、ギルバート諸島に近い東端の環礁から米軍が侵攻してくると予想し、兵力を送りこんでいました。
1944年1月30日、米軍はマーシャル諸島全域を空襲、この地域の日本軍の航空戦力は壊滅してしまいます。
さらに海上からの艦砲射撃によって、地上施設、船舶なども使用不可能となりました。
クエゼリン環礁はいくつかの島によって構成されており、米軍はまずルオット=ナムル島やクェゼリン島攻略の足がかりとなる小島を次々と攻撃していきます。
2月1日に始まったこの攻撃で各小島を守備していた日本軍は全滅、島には米軍の砲台が築かれてクェゼリン環礁の水上交通は封鎖されました。
2月2日、ルオット・ナムル島へ米軍の上陸が開始されます。
事前砲撃によって守備隊の指揮官、山田少将はすでに戦死しており、日本軍はすでに壊滅しており、ルオット島では残存兵による銃剣突撃が行われて玉砕、ナムル島ではヤシの木の丸太に隠れて少数の日本兵による反撃が行われましたが、火炎放射によって焼き払われました。
ルオット・ナムル島の占領は翌日には完了し、米軍による飛行場の運用が開始されました。
日本軍の戦死者は2540名、捕虜は11名でした。
ルオット・ナムルへの上陸が開始された2月2日と同日、米軍はクェゼリン島へも上陸を開始していました。
米軍は、上陸部隊が海岸線にたどり着くまで砲撃を繰り返し、日本軍の反撃を一切許しません。
夕方までに1万人の兵力を上陸させて米軍でしたが、夜になると日本軍の反撃が開始され、米軍は内陸部へ進むことができなくなります。
夜襲によって一度は米軍を海岸線まで押し戻すほどでしたが、隣のエニブーシ島からの砲撃によって大損害を受け、その勢いも止められてしまいました。
2月5日、残存兵力による突撃攻撃が行われ、日本軍は玉砕、掃討戦も翌日には完了してしまい、クェゼリン環礁は米軍の手に堕ちました。
クェゼリン環礁での戦死者は4000名にものぼり、日本兵達はサンゴ礁の島で逃げ場もなく焼き尽くされ、この世に跡形を残すこともなく消え去りました。
0 件のコメント:
コメントを投稿