2019年11月7日木曜日

大東亜戦争11 ビルマの戦い① ビルマ・ルートを封鎖せよ





1600年に「東インド会社」が設立されて以降、イギリスはアジアを植民地化すべく、インドやベンガル地方などへ触手を伸ばしていました。
東インド会社

1752年になると、ベンガル地方の東側、現在でいえばミャンマーがある位置に、「コンバウン王朝」が建国されます。

コンバウン王朝は、創始者であるアラウンパヤーの影響もあってか血の気が多い国で、度々領土拡張の紛争を起こしていました。
アラウンパヤー

コンバウン王朝はイギリスに侵食され弱体化してゆくインドにも目をつけ、西方への領土進出を目論み、イギリスと衝突する事になってしまいました。

その結果1824年に生じた「英緬戦争」で完敗し、領土を大きく失うことになります。
英緬戦争

イギリスとの戦いは三度にもわたり、その結果コンバウン朝は滅亡、1886年にはビルマはイギリス領に取り込まれてしまい、インドの1州としてみなされる事になりました。
イギリス領インドの拡大

インドとビルマは宗教も言語も文化も違うため互いに反目しあっていたにも関わらず、イギリスはビルマへ、インド資本やインド人労働者を大量に送り込みました。

これは生活を圧迫されたビルマ人達の怒りがインド人へ向かうように仕向けた、イギリスの巧みな植民地政策であり、後の日本統治時代にも大きく影を落とすことになります。

このようにイギリスに統治されるようになったビルマは、英米にとって重要な役割を果たすようになりました。

支那事変において、内陸地の重慶に首都を置いた国民政府の蒋介石を支援するための「援蒋ルート」として大いに利用されたのです。
援蒋ルート
ビルマ・ルート

アメリカ政府は、支那国民党を支援すべく、アメリカ義勇軍( American Volunteer Group)通称「フライング・タイガース」を派遣していましたが、ビルマの援蒋ルートを日本軍から守るために、ビルマの都市ラングーン(現ヤンゴン)の近郊に本拠地を移しました。
フライング・タイガースは真珠湾以前に既に日本軍と戦っていた

1941年12月8日、日本軍がマレー作戦を開始し大東亜戦争が始まると、イギリス領のビルマ軍はタイに侵入して日本軍の後方を撹乱し、さらに航空機で日本軍の船団を爆撃しました。

これに対し、日本政府は連合国に対するラジオのプロパガンダ放送で「ラングーンにクリスマスプレゼントを贈る」と宣言します。
連合国向けに放送された「ゼロ・アワー」

その言葉の通り、12月23日と25日に、日本軍の爆撃機と戦闘機の編隊がビルマの都市・ラングーンを空襲しました。

フライング・タイガースやイギリス空軍も反撃し奮戦しますが、大局的には日本軍の侵攻を食い止めるに至らず、ラングーンの制空権は日本軍が手中に収めました。


年が明けて1942年1月4日、日本軍はいよいよ陸上からビルマへ侵攻を開始します。

しかしタイに駐留していた日本軍は勢い勇んでビルマ国境を飛び越えたものの、敵兵はすでに撤退しており、無血突破となりました。

日本兵たちが目にしたものは、「チャイヨー、チャイヨー(万歳)」とタイ語で歓迎する住民の姿だったと言います。

日本軍はまずは要衝「タボイ」の攻略へと向かいました。

敵兵を殲滅させ、幾多もの陣地を突破し、1月19日は日本軍はタボイ市内に突入します。

タボイに先陣を切ってたどり着いた日本兵達は、驚きの光景を目の当たりにします。

自分たちが一番乗りでたどり着いたのに、既に友軍がイギリス軍と戦闘をしているのです。

しかしよく見るとその友軍はビルマ人でした。

日本軍が到着した時、歓声と共に抱きついてきたのはビルマ独立義勇軍だったのです。

日本は、ビルマ・ルートを遮断するための策略として、ビルマの独立を支援する「南機関」を創設しており、タイ在住のビルマ人から兵を募り、「ビルマ独立義勇軍」を結成していました。
ビルマ独立義勇軍

ビルマ独立義勇軍の司令官は日本人の鈴木敬司大佐、参謀にはアウンサンが任命されており、現在のミャンマー政府の源流になっています。

1942年1月23日、ビルマ作戦最高司令官「飯田祥二郎」中将は、次のような声明をインド語、ビルマ語に翻訳し、ビルマ領内にラジオ放送しました。
飯田祥二郎



親愛なるビルマ一千五百万の民衆に告ぐ。

日本帝国の大東亜建設方針ならびに帝国のビルマ民衆に対する期待は、一月二十一日帝国政府の声明により更に明瞭に了解されたであらう。


即ち日本軍のビルマ進撃の目的は最近百年間搾取と圧政とを事とするイギリス勢力を一掃し、ビルマ全民衆を解放して、その宿望たる独立を支援し以て東亜永遠の安定確保と世界平和に寄与せんとするに外ならない。


そもそもビルマ人は日本人と等しく東亜民族であり、熱烈なる仏教徒である。


いわんやわが軍はビルマ解放のため侵攻するものなるを以て、わが軍に対してその身分職務の如何を問わず、各々その分に応じ協力の誠を致すべきである。


日本軍またわれに協力するものは誰人を問わずこれをわが味方とし、或いはこれに保護を加へ、或いは共に相携えて目的の造成に努力するであらう。


これに反しわが軍に反抗し、或いは我が方の軍事行動を妨害するものは善く東亜の敵として取扱い、断乎として庸懲(ようちゅう:こらしめ)の鉄槌を加えるであらう。


即ちビルマ人といえども我が方の軍事行動を阻害するものは、東亜を裏切るものとしてこれを容赦せず、これに反し東亜民族にして従来やむおえずイギリス軍隊にありしもの、イギリス政権及び将政権と関係ありしものといえども、過去の一切の関係を断って来るものは、これをわが同志として迎え保護を加えるものである。


今や東亜民族解放戦は開始された。


東亜の同志、民衆よ。


敵側の宣伝や無根の謔言に惑わされて軽挙妄動することなく安居楽業するとともに東亜民族たる自覚の下に一斉に起ってわが軍の作戦に協力せよ。


そして勇敢なるビルマ独立義勇軍諧士よ。


今こそ祖国の独立と栄光のために決起すべき時なるぞ。

必勝不敗の大日本帝国軍は諸士とともに進軍する。


進め必勝の信念の下に。

  (昭和十七年一月二十二日午前十一時)